すいか屋日記/大後悔時代

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<<   作成日時 : 2008/12/04 01:28   >>

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画像まあ、所詮は自分のまいた種以上のものにはならんのだよな。
なんというか、やりたいことをやるということは、誰にもケツが持っていけないってことだってのくらいはわかってるつもり……なんだがなあ(苦笑)

いまさらながら「それは大政翼賛会なんじゃ」とかなんとか。
なんというか、まあ、でもそれでも今とどう違うのか?といわれたときに何も言う気になれない。
そもそも政党政治なんかフィクションなんだから……とはいえ、実際、だからといって世の中の何かを止めてもらえるわけじゃないんだからなあ。世の中の半歩先をいくことが出来なかったらフィクションにもなりゃしない。
あるいは、こうして情報の伝播速度がかぎりなくあがってしまえば、投票だのなんだの色々苦心した道具立てなんか全部役に立たなくなったって当たり前ではあるか。
新しい道具立てがいるのだよな。
って思うんだが、どうもみんなこういうときはとりあえず振り返るんだな。
そいつは昔っから変わってないらしい。

ふりかえったっていいことなんかないから前だけみて歩くしかないボクはどうしたらいいんだい?

実際問題として柔軟な現場の判断を許してる以上、法律だってフィクションとして機能してない。
とはいえ、重層的なネットワークはかつてそうていしていた中枢回路てきなルールの策定機関をひつようとしなくなる……?
結果としての公正ってのはホントに期待できるのかというと、それはまた無理な話なんだけど、じゃあ、現状とどうちがうのか?いまとくらべてどちらがよりマシか?という話になったときに、一長一短でおわっちゃう話ではあるなあ。
それを個人が無限の責任を負担する社会だと規定するか、あるいはだれも責任をとらなくてもなんとなく動いちゃう社会と規定するかで生きていくのがラクになったり苦になったりするだけ?
原理的に、正邪の判断が物理的な制約以外の制約を受けなくなったとして………なにかかわるんだっけ?

とはいえ、星の導きだの血液型だのゲーム脳だの語りかけるときれいになる水の結晶だのヒトは物理的な制約以外の制約をいとも簡単に信じてしまうからなあ。
神の見えざる手に社会のトレンドをゆだねきった先に不安を憶えるのも致し方ない……?

何の話だっけな?

なんか葬式だのなんだので読み上げられるお経ってのは内容はなるほどと思うこともあるんだが(むかしちょっとだけ原始仏教の成り立ちとかかじったりもしてて、仏教にはあんまり拒絶反応がないし…)あれにこう、おはらい的なものというかスピリチュアルな部分ってのはかけらもないんだよな。教義を説明してるだけで。
むかーし、仏教のことを全然しらんかったガキの時分はお経をよむと退散する妖怪変化のたぐいの話をおもしろがってもきいてられたんだけど、お経で退散する話が流通してるってことはそれだけお経ってなんなのか?さっぱりみんなしらないままで、それで仏教って宗教としてなりたっていたんだろうか?とかなんとかいろいろ疑問にかんじたりしないでもないのだが。
まあ、おもしろいもので、仏教ってシンボルである法輪があんまり親しまれてないから、キリスト教でいうところの十字架みたいな絵になるものがないんよな。それでしょうがなくお経で代用してるんだろうとは思うんだが、どうもねえ……。世の中はすべて苦厄であると観世音菩薩は悟ったのです……みたいなんが延々かいてるので化け物がなんで去っていくのか?とかおもうとどうも。
まあ、もう一歩かんがえると、もちろん、十字架でなんでドラキュラが苦しむのよ?っていう話になって、そういう呪い的なもの全般楽しめなくなるわけですが。
いや、フィクションってのは物の本然をしることなくして別の真実を生み出していくのよね、そうなのよね、というはなし。

やれやれ。

まあいいや。どうもね。鬱陶しいね。

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