お前ら、待てよ!(さまよえるオランダ人篇)

シャアアアアアアイニングゥッ! フィンガアアアアアアアアアアア!!!
光の翼と一緒になってるとなんか光り物2つだから殺し合ってる感じで目立たないねぇ。
ターンXほど派手な技になってないし。
というかね……SEEDの演出で一番いかんのは、重力下と自由落下のときで、空を飛ぶ表現があんまり変わんない、というか、重力下で空を飛ぶ仕組みにメリハリがないのがなぁ……。いや、ビクトリーだって平気で浮いてるんだけど、時々ジャンプのシーンを盛り込んだりして、重力がありますよ、というのを意識させてたんだけど……(V2は自由自在に飛べるからスゴいって演出にもつなげてたようだし)
よく考えるとWのときもそれがスゴく気になってたような気がする。
テレビシリーズのガガガとかの方がよっぽどこだわっていたっていうか……
要するにカッコいいからって飛びすぎるんだよ。

Ζガンダムバイブルを読んで2点。
1)Gacktがファーストのときに敵には敵の事情があるっていう演出がよかったっていうのに対して、トミノ監督が「Ζにはそこが足りなかったかもしれないね」ってかいてたんだけど……ほんとは、エゥーゴが演出上基本的に絶対的に正義の側だったのが問題だったんだろうけどねぇ。あれだけ混沌としてるから、逆に基本的にエゥーゴに悪のニオイをあんまりいれられなかったんだろうけど。ΖΖではダメになっていくエゥーゴが描かれてるんだけど、結局シャアがいないとダメじゃんって話であって、エゥーゴと云う組織自体がもしかしたら、結局ザビ家の焼き直しでしかない可能性についてはふれられてないっていうか……そういう意味で深みが足りないと云うか、広い場面を拾いすぎて、掘り下げるだけの尺がなかったんだよね、多分。
2)トミノ監督インタビュー中で「Ζを挟んでファーストと逆襲のシャアで三部作という見方をされることを想定したときに……」っていう発言があって……Ζはまだ「失敗作」としてかたられることがあっても、ΖΖはたしかにトミノ監督の口から語られてるところが思い出せないんですが……ホントにもう、存在が抹消されつつある?
まぁ、新訳Ζはラストが変わるわけだから、そういう意味でΖΖに居場所はなくなるんだけど、なんていうか……そこに、その作品があったことを監督自身が、おぼえてないような、あっさりとした無視の仕方で……

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