おまえら、待てよ(日記として)

久しぶりに「もぐらの歌」をパラパラと再読。
で……ああ、ぼくは、連載当時、それから、単行本を購入した当時のあのころも、いまも、アニメってものを「愛している」わけじゃないんだなあと。ツラツラと痛感。
ずっと、認めるのがなんとなくイヤだったんだけれども……。

ボクは、アニメ、マンガ、SFのどれも好きなんだけれども、ただ、好きなだけであって「愛している」というほどじゃないんだよな。なんというか「ファン」どまりで「マニア」じゃない。妄執が足りない。
だから、そういう意味では、きっとボクは「おたく」にもなり切れてないんだと思う……。

かといって、パンピーに受け入れてもらえる、というか、一般的な価値観とはほど遠い価値観を持っているのも事実なんだけれど。
その方向へ突き進んでいくパトスが全然足りない……おそらくは、人生をドライブするエンジンの出力が足りないのと同様に。

……。

カミーユ・ビダンがね。フォウの膝に顔を埋めて告白するわけですよ。ホモ・アビスやJr.モビルスーツの大会にでたり、空手をやったりしてたのは、「男の勲章が欲しかったんだ」ってね。
この台詞ッて、どこか、台詞そのものはピンとこなかったんだけれども、そこでカミーユがやりたかったことッていうのは、どこかで深く共感していて……結局、あの台詞ッて、自分には居場所がないんだ……って告白なんだな、と、ようやく腑に落ちて、それでやっと、富野監督の意図したカミーユの姿が明瞭に見えるようになったんだよね。ごく最近の話。
なんでボクはあの番組が好きで、なんで、カミーユッてキャラが(キャラクターの造形としてはこのみでもなんでもないんだよ)好きなのか、という理由がズッとわかってなかったんだけれども、つまりそれは、ボクが、ボク自身が、ズッと自分のことをどう、自己評価していたのか自覚がたりなかったんだよね。

ボクは、自分が居場所がない人間だと思っていて、だから、同じ悩みを抱えている、カミーユになんとなく連帯意識を持っていただけだったんだねえ……。

だから、カミーユがズルズルと戦争に巻き込まれていく理由ッていうのが、「ガンダムのパイロット」である自分には居場所があるから、なんだよね。で、またそうであるから「ガンダムのパイロット」が代名詞であるアムロ・レイの登場にあれほど動揺したんだなあと。「もっとガンダムのパイロットらしくならなくちゃ、居場所がなくなる……」ってね。そういうのが、ようやく読み解けるようになりました。
実際に番組を見ていたときは単なる慢心だとおもってたけれども。

カミーユ以外のガンダムの主人公は自分の居場所に悩むことはないよね。
アムロは「なんでボクが?」って反抗はするんだけど、ここってボクの居場所じゃないよね?ッて居心地の悪さは実は感じていない。だからララァに「なぜ戦えるの?」と不審がられるくらい。
まあ、ホワイトベースの場合、全員が、なんとかここから逃げられないか?って考えてたようなもので、それは居場所のなさに悩むのとは正反対の悩みで……。

カミーユにとって女性ッてのは自分の居場所そのもので、ファは決して居心地が良いワケではないんだけれども、確実な居場所で安全なんだよな……。

新訳ではカミーユはそういう意味での自己評価、自己の価値の喪失に悩むことはなくて、たえず、彼の関心は監督のいうように、今、自体がどう推移しているのか?のほうに軸足をおいてるのよね。
ここで、自分はこの事態の中で何を意味しているのか?と考えていたのがTVのカミーユで、じつは、シャアも同じようなことを考えているのだけれども、新訳ではカミーユはこの事態の中で何をすればいいのか?という、行動の判断をおこなっているということで、ニュータイプの意味もそこでトランスレートされているわけだから、自然、アムロの行動原理もかわっちゃってるというか……人工ニュータイプである強化人間も、死ぬときに「私ッて何?」とは思ってない。最後の最後まで、なにかをしようとしている……。

TVの最終回で、カミーユは戦争における自分の役割、を考えていたんだけれども(で、観念的な死者の遺恨を実現する道具として自分を解放する)この読み取り方が正しければ、新訳では戦争を終わらせるベストな手段を最後まで考えるはずだわな。死者の意志のコトを考えるんじゃなくて。自分がなにをするかですらなくて。
で、シロッコは自分の役割に拘る人間の代表をやらされるような気がする。

などなど。

いや……ボクはなにをしたいのか、じゃないのだよね。
結局、神ならぬ身で選択できるのは、この事態の中で、どういう行動が選択できて、その行動の結果はどのようなものと推察できて、じゃあ、その推論は、ボクにとって好ましいか否か?という極めて限定的・受動的な判断くらいものに過ぎない。

たぶん、監督、のような、全体を左右する「権力」を手にすると、人は全能感というよりは、そうした無力感の方を強く感じて、だから……宮崎駿監督にしても富野監督にしても、関係の中にしか「自分」がないことを強調するのかなと思うのだけれど。

それもわかるけれども、まるで、自分が自分の人生を決められる……っていう勘違いをしていたいのも本音だね。カツのように。
ガンダムがあれば、人生を決められると信じたいじゃない。

むしろ、ガンダムにすべてを握られてしまうだけなのだけれど。
……それをなんというか引きずり回したのが、ロランであり(ガンダムじゃないけど)、ゲイナーなんだよな……。

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強化人間
Excerpt: 強化人間強化人間(きょうかにんげん)とは、サイエンス・フィクション作品において、何らかの手段によって人工的に身体能力を強化された人間の事を指す。ブーステッドマン (Boosted Man) と呼ばれる..
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Tracked: 2006-04-01 09:25